「心コロコロ、何処へ行く」自分の心ぐらいつかみたいねぇ。

 今日、今はこう考えても、明日はどう考えるか解らない、あなたの心は?と聞かれてもその実態は解らない、どんな方向へもコロコロコロコロと転がってしまう。でも角があってはコロコロしない。他の世界も見ることは出来まい。傷もつく。
 従って、坊さんはいつも「却下照顧」と「己の足元を照らせ!!」という。
 「如実知自身」他を知り、世間を知ろうと思えば、自分がどんな所に位置し、どんな方向に向いているか?どんな大きさか?色はどんな色?形は?…。と、とにかく、己の真の心を知ることに専心する。怒る心を鎮め、あせる心を静め、素直で、飾り気のない真の心を見つけようとしなければならない。何故なら、己の心がままならないことの被害は、甚大だからだ。
 つまり、捉われない、飾らない、うそをつかない、己の自然の心を見つけたい。持ちたいと努力して欲しい。
 ある時は、がんぜない子どもの心であったり、ある時は老人の心であったり。

 自然体でころがる心ってどんな心?
 つまり仏さんの心なのよ。