祈りを持たない人哲学をしない人ほど薄っぺらな人はない。
大自然や大宇宙を知らない人だ。

 そう、祈りや信心のない人と話すといやになる。神仏ばかりではない、大自然へ畏怖さえ解らない。私もシルクロードの旅でタクラマカン砂漠や、パミール高原へ行ったがm灼熱の大砂漠の中で、「私は無信論者」なんて言ったって、何にもならない。神仏のことを忘れて生活する人は、一見悩みや苦しみがないようだが、奥のない平和ボケの生活をしている人だ。そんな人に限って、いざ困った事が起きた時、例えば、自分の可愛い子どもが、今から落ちようかという飛行機にでも乗っててごらんなさい。「神様、仏様、助けて下さい!!」と言うんだから。
 神仏も良くしたもんで、日頃からの付き合いのいい人から助けてくれる。付き合いの悪い者は後回し、変な強がりや見栄を捨てて、素直な気持ちで神仏の前に座ってごらんなさい。大きな力で、大宇宙の力で、神仏の力といってもいいでしょう。自分が動かされているのが解るから。
 自分が絶対、自分こそ全てという人は、小さい。薄い。折角の人生、大きく見て、深く思考しなくちゃ。生きてる意味がないよ。
 真の祈り、信仰を持った人と そうでない人は、生きつく上でも人間、最後の時でさえ、大きな開きが出来るんよ。
 真の祈りを持ちましょう。真の哲学をしましょう。