人間寒いから、人間恥ずかしいから、人間見栄があるから、服を着る。人間本来、清浄な六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に六塵という埃の服を着る。
  自我の目覚めと共に、その汚れた六根で感じる、汚れた服を纏う。だから、物事が真直にきれいに見えない。でも、自分が裸になれば、裸になりさえすれば、真理の道は見えてくる。
“慾深き 人の心と 降る雪は 積もれる程に 道を失う”という言葉がある。
 人間、身も心も裸が一番良い。
どうも人間は、言葉や行動に真実に添った動きをしない。“嘘も方便”と、時には人を傷つけない為に、ほどほどの事を言うのは解るとしても、“本音タテマエ”論ではないが、いつのまにかタテマエばかりが先行してしまう。
  時には、厳しくても醜くても、恥ずかしくても、腹立たしくても、真実に近い本音で話し、裸で生活したいものである。
  本音には嘘がない。裸には、これ以上脱ぐものもない。例え言葉が解らなくても、どんな人とも真実のお付き合いが出来る様に思う。
  相手を大切にしたいと思うなら、短い人生、真に生きたいと思うなら、裸でものを言い、裸でつき合うのが一番良い。飾りたてた言葉は要らない。